喪い、そして生きる

JR宝塚線の脱線事故から4年目。

そのとき、女性センター・トレピエでの地域団体の総会に来られていた市長が飛び出していかれたことから、この事故の私の記憶が始まります。

講演で移動することが多い私で、まだ三田に住んでいると思っている方からの安否を確認するメールや電話、また、当時、大学生の息子が京都に住んでいることをご存知なかった方からも。

「PTSD」で苦しむ被害者、大事な人を失った家族の思いを伝える番組をみながら、昨年の5月にお嬢さんを外国での交通事故で亡くされた鹿嶋敬さんのことを考えました。

日本経済新聞社の記者、論説委員、内閣府男女共同参画会議議員で、今は実践女子大学の教授として、著書も多く、兵庫県でも何度も講演されています。

事故を報道で知って、その翌日、現地に旅立つご家族の映像、サイトでみた新聞記事で知った、あの鹿嶋さんのお嬢さんが!?

女性センター・トレピエも訪問してくださって、情報誌「フェミナル」の表紙のキーワードにも登場してくださっています。

赴任していた国から帰国され、結婚をする、とうれしそうに話してくださったのはその前年の秋だったと記憶しています。

恵里子へ―結納式の10日後、ボリビアで爆死した最愛の娘への鎮魂歌」を日本経済新聞社から出版されたことを知り、買って読みました。

軽々しく感想や内容を口にすることができない、哀しく、深く考える本でした。


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