息の長い支援は対等な関係づくりから

ITC カウンスルNo3で行われたスピーチコンテストに出場し、情報を伝えるスピーチというカテゴリーで「支援」という課題を選び、「息の長い支援は対等な関係づくりから」というテーマでお話しました。

5分以上8分以内と定められており、以上でも以下でも秒あたりで減点されることや、壇上でなんらかのコミュニケーションをしたところから開始などなど、まったく今までには経験のない「競技」でした。

20120329.jpg大変幸運なことに、入会してまだ数ヶ月であるのに2位に入賞しました。

また、高校生のスピーチコンテスト優勝者のスピーチを聴けたのがなによりの経験でした。

日本語、英語、おふたりとも女子高校生です。

テーマと構想、話のすすめかた、抑揚やジェスチャー、まとめ・・すばらしいスピーチで、思わず立って拍手をしそうになりました。

コミュニケーションスキルをつけることを目的に、1930年代にアメリカで設立されたこの会に参加したことで、独りよがりにならない、そして、内容さえよければ、ではなく、その伝え方がいかに大切かということを、お仲間と学べるようになりました。

以下が、スピーチ内容です。

息の長い支援は対等な関係づくりから

3.11

わたくしたちは「もう1年」と言い、被災地の方は、「まだ1年」とおっしゃる・・・ 阪神淡路大震災とは異なる苦難が、今も被災地を覆っています。

17年前、阪神淡路大震災当時、子育て中の専業主婦で、義理の親と震災同居をしていたわたくしは、子育て中の被災者のリクエストを受け、子ども服や用品を集めて、それぞれに郵送するというグループ活動を行いました。 「支援」ではなく、あたりまえの助け合いをしたと思っています。

今回の大震災で、盛岡の女性団体は、ラジオ放送などで呼びかけ、避難所などの被災女性に電話をかけてもらい、そのニーズを聴いて、必要とされているものを届けに行く、そこで被災女性の「想い」をしっかりと受け止める・・という「支援物資デリバリーケア」という活動をされました。 デリバリーは配達する、ケアは相手を大切に思うこと。 17年前のわたくしにはできなかったことです。

さて、東日本大震災の2日後、関西広域連合は緊急声明を発表しました。警察・消防・医療の専門家や応援要員の派遣、支援物資等の送付、被災者の受入れを「カウンターパート方式」によって行うと決定したのです。 「カウンターパート方式」―それは、中国四川省震災時の「対口支援」―対する口と書くのですが、「対口支援」を参考にしたもので、特定の被災地区に特定の支援自治体を割りあてる支援方法です。 そして、兵庫県は宮城県が、わたくしが住む尼崎市は、宮城県気仙沼市がその相手となりました。

尼崎市は、気仙沼市と、「信頼関係を持ち、継続的に細やかな支援を行う」という方針を立てました。  復旧のための職員・保健師の派遣は3月までにのべ364人。 雪が積もっている山あいの仮設住宅に住み、1年間の予定で、今日も働いている技術系職員もおられます。 また、震災1カ月後の4月には、尼崎市公設地方卸売市場の新鮮な野菜、果物を積み込んだ市バス車両5台が気仙沼市へ寄贈されました。 ノンステップで乗り降りしやすく、白い車体に虹を描いた大型の市バスは、今も気仙沼市の路線バスとして活躍しています

気仙沼市内を走るわが町のバスに出会った時には、わたくしは、誇らしく、思わず手をふってしまいました。 これらのことからも、一時的ではない、長い期間の支援が必要だということがわかっていただけるでしょう。

ところで、みなさんは、東京都目黒区と気仙沼市のつながりをご存じでしょうか?

お殿様がお忍びで出かけた目黒のまちで、初めてさんまを食べるという古典落語「目黒のさんま」。 この落語が縁で、さんまの漁獲高を誇る気仙沼市と目黒区とは交流を深め、大震災の半年前に友好都市協定を結んでいます。 だからこそ、大震災の翌日に、気仙沼市長が直接、目黒区長へ電話をかけ、すぐに、石油ストーブ、灯油や毛布、けんちん汁、おわんなどなど、その時に最も必要とされた、細やかな支援物資が届いたのです。

一方、気仙沼市と尼崎市という、ほぼ未知に等しかった自治体が、信頼関係を築けるものだろうかーそう考えていたわたくしは、現地で尼崎の職員やボランティアへの感謝と高い評価を聞くこととなりました。

その理由はふたつあると思います。 行政の仕事は法令に基づいて行われているため、多くの業務は共通しています。だから、応援の職員が着任早々でも、スムーズに仕事ができた、ということがひとつ。

そして、二つ目は、阪神淡路大震災の経験がある職員やボランティアの活動は、ある意味、「ときを超えた当事者どうし」という共感を得ている、ということです。 兵庫にいるわたくしたちには、ボランティア活動も「義援金」も、恩返しと言う想いがあり、それが、被災地のみなさんの負担を軽くできていると、わたくしには思えるのです。

わたくしは、この1年間で3度気仙沼市を訪問しました。  被災された方や市職員のみなさんのお話に耳を傾けることによって、わたくしなりの信頼関係を築いてきたつもりです。 今は、被災女性への支援と、そしていつかわが町で起こりうる災害時の受援-援助を受けるということですが、その受援の方策を考えています。

みなさん、わたくしが、被災地でもっともよく聞く言葉は何だと思われますか?

それは「忘れないで」という言葉です。

いま、どんな支援をしたらよいのかわからないとおっしゃる方に、わたくしは こう申し上げたい。

「忘れていませんよ、いまも、これからも」 ― これが相手に伝われば、大きな支援になると。

一方的な支援・受援の関係では、息の長い支援にはなりません。 息の長い支援のために、対等な関係・信頼関係を、わたくしは培ってゆきたいと思います。 まず「忘れない」ということを心に留め置いて。

 


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