大阪大学外国語学部インドネシア語同窓会会報「南十字星」への寄稿

大阪大学外国語学部(旧大阪外国語大学)インドネシア語同窓会会報「南十字星」へ寄稿しました。

…そして、今、市議に

須田 和(旧姓・坂元’79 卒)

1975 年、広島の高校からインドネシア語学科に入学。

初日に「女子には就職口は少なく、教職課程をとっておいた方がいい」と聞かされました。南国との貿易の仕事を目指していたので、愕然としたものです。

事実「四大卒女子・地方出身者」にとって、当時就職は厳しい状況でした。

それでも大阪・中之島の商社に入社。
3 年後にインドネシアと取引のある会社に転職。
84 年、日本生まれインドネシア国籍の男性と結婚して2 児を出産。
96 年に公共施設(女性センター)で働き始めました。
99年に離婚と転職。
2004 年に民営化された尼崎市女性センターの初代民間人所長となりました。

私は現在、兵庫県尼崎市議会議員です。

6 月7 日の選挙で無所属・新人、団体推薦もなく立候補し、3434票を得て、立候補者59 人・定数44人の20 位で当選しました。

「政治」は1 度たりとも自分の目標になったことはありませんでした。

応援してくれる大勢の仲間たちに支えられ、現職の白井文市長(79 年外大仏語科に入学後、全日空の客室乗務員になり、退学されています)や女性の県議・市議の力強い応援もあり、一大決意をしたのです。

「資金」「人」「時間」の全てが足りないまま、2 ヵ月の準備と1 週間の選挙戦。街頭演説、街宣車で名前やメッセージの連呼と手振りなど、努力しました。

最終日まで楽観できる状況ではありませんでしたが、前向きで笑顔の多い選挙事務所でした。控えめにお知らせした外大の恩師、先輩のカンパやエールにどれほど励まされたでしょう。

心から感謝申し上げます。

「子育てにやさしいまち」「誰もが大切にされ認め合えるまち」「市民の力と経験がいきるまち」のために、「白井市長と共に開かれたクリーン市政をしがらみのない立場ですすめる」ことを強調しました。

市職員を威圧し、要求ばかりする議員ではなく、「対立より対話」をし「要求よりも提案する」議員になりたいと訴えました。

スーパー前では「1 円でも安く、安全でおいしいものを選んで買い物されているように、市の財政も考えませんか」。

通勤時間の駅前では「職場としての尼崎、暮らす町としての尼崎、もっと居心地のよいものになるように、ワークライフバランスを」と。

民営化された女性センターでは、大幅に削減された予算で事業内容や施設管理を充実させ、その実績は自信にもなっています。

今度は、市民に期間限定で雇われる議員として、みなさんのために働けるチャンスをと、懸命に訴えました。

専業主婦として子育て支援や町のバリアフリーの活動。

そして、男女共同参画社会づくりという国策を実現する女性センター3 カ所で勤務したことが、今後の市議の仕事に大きく役立つと思っています。

これらは外大時代の学びや経験のおかげです。

言葉や文化、価値観が異なっても理解し合う努力をすれば、必ず成果が出ます。

出会った恩師や同級生・留学生とは性別・国籍・年齢・宗教などに関わりなく、対等にコミュニケーションがとれたことも貴重な経験で、私 の未来を拡いてくれたのです。

外大で学んでよかったと今、改めて思います。

私生活では、息子は商社に就職してジャカルタ勤務、娘はこの7 月に母親になりました。

多くの方の期待を仕事でお返しするようがんばります。

南十字星会のみなさま、どうぞ応援してください。
(Web サイト http://www.ac.auone-net.jp/~suda/

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