仙台市のNPO法人イコールネットの宗片さんと宮城学院大学浅野教授の、気仙沼市に避難所の女性たちニーズ調査に同行させていただきました。
私が被災地のセンター等を訪問する目的を理解し、また複数の調査先のうち、たまたま私の滞在中に、気仙沼市を訪問予定だったことから同行させていただくこととなったのです。
尼崎市の被災地支援のカウンターパートが気仙沼市。
市役所の職員さんには『尼崎市さんにいただいた市バス、本当にありがたかったです。市内を走って活躍しています』と。
気仙沼駅前、市役所から避難所の体育館へ向かう道路や街中はきれいに片付けられていました。
義援金を受け取る申請が始まった日で市役所前駐車場には長い長い車の列ができていました。
気仙沼は地震、津波に加え、延焼の大きな被害があったまち。港の漁船用燃料タンクが津波に倒され、火が出て、漂流している家屋や家財などに次々に燃え移り、それらが燃えながら漂流して街の中に入って、民家に延焼したというのです。
大きな揺れの後の大津波に、燃える水や家が流されて襲ってくるという光景をみた被災者のみなさんは、なんと恐ろしい思いをされたことか。
避難所の体育館も指定管理者制度が導入されており、その橋本館長にお会いできました。
指定管理者として市から任されている体育館の運営業務が、震災後は一変。避難所の運営業務にあたっておられます。
ニーズを聞き、市からの連絡事項を伝え、ボランティアや行政職員と連携し、物資の管理、そしてもっとも重大な仕事、被災者の食と住(入居・退去)、暮らし…
兵庫県看護協会の看護師さん、奈良県の保健師さん、静岡、甲府、神戸、宮崎県…たくさんの行政職員が活動されています。
女性たちには避難所での暮らしについて…運営に女性たちの意見や希望がいかされるか、班長に女性はいるか、着替えなどのスペースは、下着などの洗濯物をどこにどう干すか…
平日午後ですから、避難所から仕事や役所への手続き、被災した自宅の片付けに出かけておられる方も多く、居住スペースは静かでした。
ラジオ体操に合わせ手足を動かしながら歩き回り笑顔をさそう幼児、学校の宿題を床に突っ伏しながら書いている一年生のお嬢さん。
笑ったり、はにかんだりしながら、お母さんにしっかりとくっついていました。
居住スペースで震災がもたらしている困難の数々を目の当たりにして、プライバシーのない場で長期の暮らし、先が見えない不安がぐーっと迫ってくるように感じました。
なのに、お会いした女性たちは、笑顔で話し、『遠くからわざわざ…』と感謝の言葉をかけてくださり…。
再会を心に誓いながら避難所を離れました。
気仙沼市には尼崎市からも会計監査室職員や保健師さんが活動しておられます。議員の私が訪問することを前もって伝えると、尼崎市から気仙沼市民のために派遣され懸命に活動されている貴重な時間を奪うことになります。
お話を聞くなら尼崎市に帰られてからということと、感謝の意を伝える手紙をを託しました。日焼け止めを入れて。
JR気仙沼駅から大船渡線で一ノ関~仙台にもどる車中で尼崎市職員さんから、お電話をいただきました。
*館長さんに許可をもらい、館長さんそばにおられるときに撮った居住スペースの様子などは帰宅してから日記に載せます
画像は仙台駅内の書店 東日本大震災特集コーナーです。
尼崎市選出の田中康夫衆議院議員の『神戸震災日記』文庫本もありました。
増刷されたばかりの『緊急出版 特別報道写真集 巨大津波が襲った 3・11大震災~発生から10日間の記録』(河北新報社刊)