再び被災地へ―気仙沼

5月15-17日に被災地を訪ね、その報告会も6月17日、7月5日と行いました。

その後、3カ月半が過ぎ、あと10日で、震災後半年となります。

この間、被災地の知人や新しい友人、支援者の方たちもメールなどでやりとりをしながら、まちが復旧から復興へのステージに来ていることは感じていました。

しかし、支援者や市職員や避難所の職員たちが疲れておられるのではないか、市民の方は・・・?

民間の、とくに女性たちが尼崎でできることはないか?

考えるためもあり、出かけることにしました。

7時半に伊丹空港をでて、仙台空港に8時50分。80人足らずの小型の飛行機でした。

防護シートで包まれ、トイレも仮設、カウンター業務も手作業であった5月時と大きく違い、空港は復興していました。

空港と駅をつなぐJR線も、10月1日から復旧だそうです。

仙台駅から東北新幹線やまびこで、一ノ関へ。

一ノ関駅始発の大船渡線気仙沼行きの車両に乗って出発を待っていたら、大雨で不通になったことを知らされ、「タクシー代行輸送」するから駅西口へと言われました。

この方たち、行政の方ではないかな? 気仙沼市へ行く自治体の方ではないかな、話しかけてみようかな・・と思うっているとあっという間にその男性二人連れは、タクシー乗り場に向かわれました。

気仙沼まではだいたい1万2千円くらいはかかるのではないかと以前聞いていたので、私は代行輸送を待つことに。。

駅入り口でだいた50人くらいおられたような気がしますが、なかなか指示がなく・・。

しかし、一人も、不平不満を言う方がおられない駅舎の外の暑いところで待ちました。

結局、岩手急行のバス2台が来て、分乗し、一ノ関から気仙沼駅の間のすべての駅に停車しながら、JRだと70分のところ、約2時間半をかけて気仙沼駅に着きました。

しかし、隣り合った方と話をしたり、見るはずのなかった緑豊かな山間や田園や、渓流などを見ながら、JR職員の丁寧な対応と、岩手急行交通のバス運転手さんの会話を聞いたり、決して不快なことはありませんでした。

前回も今回も、議員としての視察ではなくあくまでも私費で私人としての訪問ですが、それでも、前回、知り合った役所の女性の課長さんや職員の方には大変、お世話になりました。

みなさん、尼崎市職員の働きに感謝されていました。

総合体育館では、指定管理者の館長さんに再会、また教育委員会から派遣されている課長さんも丁寧に説明してくださいました。

くわしくは、また報告会やニュースでお伝えしますが、画像のように、ぎっしりと皆さんが暮らしておられたアリーナは、11日の慰霊祭のための準備中。

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また、他の場所のフロアには、5月になかった畳が敷かれていました。

扇風機がいくつか見られますが、扉や窓を網戸にしても、暑かったであろうと思います。

仮設住宅や市役所の職員の方の話を聴き、夜は被災され現在は、仮設ではなく民間の借家に住んでいる方のうちにお邪魔しました。

家の中にあるものすべてが新しいものばかり。新婚の新居でも、それぞれが持ってきた大切なものや、必要なもの、前からの使われたもの、古いものがあるのに。

「津波で流された」ということの意味、こういうことなんだと、初めて知った気持ちがしました。

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