東京駅から東北新幹線やまびこで一ノ関に9時に着き、盛岡市女性センター(指定管理者NPO)館長の車で、大船渡市の避難所に支援物資を配達するのに同行させてもらいました。
道中、震災後からもりおか女性センターがとりくんだ被災女性への支援事業の数々を聞きました。
内閣府や県・市、日本助産師会とともに明日から毎日開設する『女性の心のケア ホットライン・いわて』や避難所などへの『出前相談会』、たくさんの支援物資が行政の『公平性』を理由に被災者の手に届かないことから『物資デリバリーケア』と名付け、個々の被災者に必要なものを届けるサービス…
リクエストは
震災直後、まずは食と防寒着、
サイズや種類様々の下着やスェット、
自衛隊のお風呂がきたときはシャンプーやソープ類。
一ヶ月すぎたころから基礎化粧品、
納棺師さんから依頼の化粧品、哺乳瓶の乳首、搾乳器、バギー、
通勤用洋服…
まちの復旧に応じてニーズが変化し、また避難所では、遠慮があり言えない、自衛隊の男性隊員には言えなかった生理ショーツ生理用品、下着がなく洗濯もできないからこそのパンティーライナーや尿もれパット。
避難所で暮らしておられるという背景もくんで、個人に届けることを、NPOが取り組んでいるのです。
大船渡市の避難所では支援物資が展示されている会場で、ジョイセフ(途上国の妊産婦と女性の命と健康を守るために活動している日本生まれの国際協力NGO)から届いたフランスの化粧品メーカーの化粧水クリーム類のセットをお配りするのをお手伝いしました。
たくさんの地域から届いていることがわかる段ボール空き箱の表示、並べられた生活用品の中を歩く方々。
妊婦さんや赤ちゃんをおぶったお母さん、小学生の娘さんと二人連れのお父さんに聞いても、足りないものはない、いまで十分とおっしゃる…
望む気持ちも贅沢だと抑えておられる、何もかもが流されてなくなり、目の前にあるもの以外、避難所でいったい何を望めというのだろうか…と思われているように感じました。
基礎化粧品類のパックにどれだけ女性たちの顔が輝いたか…
小学生の女の子がそのパッケージに書かれた赤いハートにどんな顔で見入っていたか…
ボランティアの方に、がんばりすぎないで、と声をかけたら、少し眼を赤くされました。
それから、大津波が襲った陸前高田市のまちの様子。
例えば映画で、考えうる限りの惨状のまちを作るとしても、到底思いつかない、想像をはるか超えたものでした。
短時間訪れるだけの、よそ者の私には泣く資格もないのだ、と自分に言い聞かせていたにもかかわらず、走る車の中で、ため息と泣くばかりでした。
ボランティアさんたちが側溝の泥を書き出しておられる様子、遠方からの警察官たちが、おそらくご遺体を探しておられるだろう様子が遠くに見えました。
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