記念体育館で開催された成人式「成人の日のつどい 一(はじめ)~First stage~」に参加しました。
2階席に国会・県会・市議会議員席が設けられてあり、10時半から正午まで、1部の記念式典、2部のアトラクションがありました。
尼崎市の4300人の新成人のうち、1200~1400人くらいが参加されたのではないかと、
これはフロアの椅子の数、二階席にいる人の数、そしての外にいる人たち・・それを私が目算したもので不正確でしょうが。
華やかさ、明るさ、笑顔、笑顔、笑顔 たくさんの若さと幸せを見ることができました。
式典は、開会のあいさつ(子ども青少年局長)、励ましの言葉が白井市長、お祝いが議長、来賓代表は教育長そしてメッセージがスポーツ少年団の小学生の野球選手たち、最後に新成人の代表が「はたちのメッセージ」です。
中学生、高校生、リトルリーグの野球選手たちという、新成人のみなさんよりも、若い世代が、このつどいに参画するというアイデアはすばらしいと思いました。
プログラムの中の、「20年のあゆみ」には各年の世情や流行語が書かれています。
この20年は、私にとっては第2子である娘の成長と自分の自立への歴史でもありました。
市報あまがさき1月号の31ページ 「とことこ見聞録」には、昭和37(1963)年、尼崎市で初めて開かれた成人の日のつどいについて書かれています。
当時の翌日の新聞記事では「該当者11,700人、出席者を1500人程度とふんでいたが、予定の2倍を上回る人数になった」とあるそうです。
高度成長期のまっただ中、体育館が落成し、市庁舎も完成まじかという時期、当時の20歳はいま、60歳代の半ば。
どんなに記憶されているのでしょうか。
私の娘は幼稚園から中学校まで暮らした町にでかけ、式後の会場前で、たくさんのクラスメイトたちと久しぶりに会えた、楽しかったと、弾んだ声で電話がありました。
私自身は広島の郷里から冬休みが終わって大阪にもどり、学校も始まっていて、また郷里に帰るだけの時間もお金もゆとりはなく、といって、住んでいた大阪市の式典に行きたいとも思えず、いってないのです。
そして振袖にかかる費用をと、1978年にごくごく短期の語学留学にいく費用をだしてもらったことが私の成人の日の記憶です。
みなさんの成人の日はどんなものでしょうか。