上之島総合センターで、尼崎市原爆被害者の会のみなさんが、それぞれの被爆体験を語ってくださいました。
「語り部」として、小学校や地域で、自ら経験したことを語り続けておられます。
約30人の参加者は10歳代から70歳代まで。
それぞれが、思い思いの表情や姿勢で聴き入っておられました。
私は広島県出身で、伯父も被爆者手帳をもっていました。
広島市の東に住む、大正生まれの母には朝一番に電話しました。
なにも聞く前に、母がすんでいた町からも、広島市を清掃する奉仕隊がその前の晩から入っていた、自分は自宅の前の道を箒で掃いていたら、ピカッと光った、初めての経験だったので、近所の人と、あれはなんだろうかと話していた、後に、広島市に「新型爆弾」が落とされたと知り、また、たくさんのけがをした人たち(動ける人)が、帰ってきた、話してくれました。
毎年のことです。
事実を忘れない、被害を受けた人に寄り添う気持ちを忘れない、二度とこんなことがないようにという決意をしたことを忘れないでいたい。
2011.08.06