3月11日、東北地方・太平洋沖大地震の発生時、市役所議会棟で会派会議の最中でした。
ゆっくりと、「ゆうらゆうら」と足元に小さい揺れを幹事、最初は自分のめまいかと思うくらいで、しかしなかなか止まらないので、外に出ました。
本庁舎から飛び出してくる人はあまりいませんでした。避難の放送などもなく、それくらいの揺れでしたが、長かった。
それから会派室にもどって、テレビの速報をみました。
その時にこんな広範囲のそして津波による被害が起こったとは思いもしなかった。
それと同じように、今、把握されたことをテレビや新聞で把握している以上の被害があり、原子力発電所の損壊による影響は、今、想像以上の悪いものになるのではないか・・・
阪神淡路大震災の時と同じように、なすすべもなく、ただただテレビの報道を見ている自分。
阪神淡路大震災の時の教訓で、被災地の知人に、つながらないからとやたらと電話をかけるのはやめよう、飛んでいくくらいの気持ちではなく、ただ、自分が相手の無事を確かめたいという想いだけで、かけ続けることが全国で集中することが、回線のパンクにつながり、被災地内での本当につながらなくてはならない通話の邪魔になるから・・・
阪神淡路大震災の時にはなかった携帯電話・メール、ツィッター、SNSの利点を活かしながらの救援活動をすることに、どのように被災地から遠い私たちが協力できるのか、少なくとも妨害しないように・・・などなど考えました。
流言飛語、デマ、根拠のないうわさが広まり、人や作物などに風評被害を与えることのないように、そして、通信手段を妨害し、被災者・犠牲者に追い打ちをかけることのないように、今の段階で自分ができるのは、募金の準備、支援の方法などを考えること、節電、そして情報を見極めることだと思いました。