尼崎市の被災地支援のカウンターパートは気仙沼市
稲村市長が4月5日に気仙沼市を訪問されたことは、市長室のサイト、市長の活動日記でよくわかりました。
その時の成果というか、支援物資、そして市バス5台が野菜や果物を700ケースを積んで気仙沼の避難所に届けられましたし、その市バスも小中学生の送迎に使われるそうです。
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/emergency/019088.html
市長自らがすぐに被災地に飛び、すぐに必要な支援、そして長期的な視野での支援について、直接被災地の市長と話し合って来られたことの成果です。
また医師会からも継続して避難所での被災者支援に医師が訪問されています。
4月の初旬に3日間、石巻市に被災者支援に行かれたドクターに話を伺いました。
避難所となっている学校の保健室が診察室。
持病の悪化が多かったことや、インフルエンザの流行はこれからかもしれない・・・など。
2日間の滞在で、後ろ髪をひかれる思いで帰って来られたと。
4月初旬では、伊丹空港から山形空港へ飛び、その後はタクシーで数時間かけて石巻に到着されたそうです。
私は、被災者でありながら、支援する立場になっている方々の心身の疲労を常に考えてしまい、尼崎市から派遣されている職員のみなさんの被災地での生活や活動はどうだろうかと思います。
また、仙台市の親友が、館の責任者として懸命に運営を再開させ、さらに自分は市外まで被災者支援に飛びまわっている様子をメールで知るにつけ、被災者の支援者の心のケアはいつ、だれがどのようにすべきかと考えています。