アスベスト被害の救済と根絶を目指す尼崎集会

2023年7月2日(日)13時から16時。毎年開かれている「アスベスト被害の救済と根絶を目指す尼崎集会」。

大企業クボタの工場で働いている人や周辺の住民に中皮腫患者が多数いること、当時はクボタショックと呼ばれた報道がされたのは2005年6月。

その前の4月にはJR福知山線脱線事故が起きていた。

▶︎私は当時、女性センターに勤務し、市内に転入したばかり。
工場で働いていた人ばかりでなく、近所で暮らしていた人、働いて帰宅した夫の作業服などをはたいてホコリをとり、洗濯をしていた女性たちも被害者のはずだと思った。

▶︎2009年に議員になり、先輩議員が尼崎労働者安全衛生センターに案内してくれた。
尼崎の被害者数の多さ、アスベストが建築資材に使われ、製造禁止となったが、まだ多くの建物に使われている、さらに中皮腫として発症するまでの潜伏期間は20年30年という長いもの・・などを知った。

▶︎2日の会では、アスベストは終わったことではないということが繰り返し訴えられた。

▶︎松本眞市長は来賓挨拶として、文科省時代、学校や公民館等の調査に携わられたことを話し、白井文前々市長、稲村和美前市長と同様、今後も市として取組を継続すると決意を語られた。

▶︎疾病課長が市が行った石綿の検診受診者のうちおよそ3分の1に症状があったと。
また被害者とその家族のお話、さらに専門医による薬剤や療法による副作用についての発表、大学での研究者は、アスベストのリスクを知る人を増やし、学校でアスベスト教育をすること、自分も協力する、と提案された。

▶︎3時間を超えてのシンポジウムを全て受講し、気持ちも脚も疲れ果てて懇親会には参加しないで帰宅しました。


市役所の部長さんお二人も100人くらいの参加者席にお顔が見えました。

▶︎3日の毎日新聞朝刊(有料記事で途中まで)
https://mainichi.jp/articles/20230703/ddl/k28/040/241000c?f


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