2020年3月4日(水)市議会定例会が再開

2020年3月4日(水)10時~ 議会運営委員会新型コロナウイルス感染症対策のため「尼崎市議会災害時連絡会議」が設置され、昨日、一昨日、会派代表者会で議論された、代表質疑の日程短縮、代表質疑において、新型コロナウイルス感染症にかかる対応等のため、市長、教育長等の欠席、遅参、途中退席したい旨の申出があった場合は、議長一任することが決められました。

▶︎10時30分〜 市議会定例会が再開され、先週の各常任委員会の報告、議案の一部に対して共産党議員団が反対討論をし、同じ会派の酒井一議員(7期目)によって、議案第22号 尼崎市人権文化いきづくまちづくり条例の制定に対する賛成の討論が行われました。全議案は可決されました。

酒井議員の許可をいただき、賛成討論原稿を下記に転記します。正式な議事録ではありません。

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議案第22号
人権文化いきづくまちづくり条例について 賛成討論
緑のかけはし 酒井一

あえて賛成討論に立ったのは、この条例をめぐる昨秋以来の議論、審議の中に、この条例のみならず、今後のこのまちの人権施策全体に大きな影響を及ぼすであろう論点が含まれていたからです。

議論は主に部落差別をめぐって起こりました。

「部落差別はもうない。」「あったとしても根拠をなくして残っているだけだから、自然に消滅する。あえて取り上げるべきではない。」という意見がありました。しかし部落差別事件は今も後を絶ちません。経済的に大きく改善されたことは確かですが、人と人との関係においては不断に再生産されています。

「同和対策によって不当な利権が生まれた。」ことを理由とする反対意見もありました。この条例が部落差別をも対象とすることで再びそのような利権が発生するというのです。

提案者である市は「特別な施策を新たに行うことはありません」と答弁したにも関わらず、です。

同和対策特別措置法は積極的差別是正措置(アファーマティブアクション)(ポジティブアクション)でした。確かに不当な利権が発生した事実もありました。しかし、そのことをもって、同和対策特措法の意義全てを否定することはいかがなものかと思います。

積極的差別是正措置はそののちも、様々な差別に対する是正措置として多くの方面で採用されているのです。

障害者雇用促進法は雇用者に障害者の一定の雇用枠を義務化しています。男女雇用機会均等法は女性の雇用促進を求めています。ほかにもアメリカにおけるアフリカ系やラテン系民族への受験における優遇措置。等々、アファーマティブアクションは差別克服のために多く活用されています。

部落差別に対する同和対策特措法はこれらの積極的差別是正措置の、日本における先駆けとなったものです。それによって得られた教訓は、肯定面否定面、それぞれに、本条例が対象とするその他の差別、人権問題に取り組む上で、生かさなくてはなりません。行き過ぎや過ちについては、部落差別問題に取り組んだ人々の間でも様々に議論がされています。

しかし、否定面を言い立てるあまり、「たらいの水と一緒に赤ん坊まで流して」しまってはいけないのです。

「人権は政治権力の側が市民に対して守るべきものであって、市民に人権を守る責務を課すことは許されない」という意見がありました。

確かに、最大の人権侵害は政治権力によってもたらされます。

しかし、これは自治体の条例です。市民自身の宣言でもあるのです。

「市民に人権意識を求めるのは内心の自由を侵すことになる。」という意見もありました。
そうすると外国人に対する排外主義的言辞を制約することも内心の自由や表現の自由を侵すことになるのでしょうか?

差別を克服するうえで、差別行為をした個人に責任を問い、反省を促すことは避けて通ることはできません。これもまた、部落差別に対する闘いの中から、被害者の側に立って差別を認定し、加害者個人の責任を問う、ことから始まる「糾弾」という概念が生み出されました。

その考え方が発展して、現在も、差別の克服に大きな役割を果たし始めています。例えば「#Me too」運動のように、セクシャルハラスメントや性的暴力に対して、被害者が立ちあがって加害者の責任を問うことが、当たり前になってきています。

排外主義的なヘイトスピーチに対しては、「発言、表現」に責任を問うことが始まろうとしているのです。

「『内心、思想』『言論、表現』といえども差別、人権侵害の自由はない」、という考え方が、部落差別にとどまらず、広く人権問題全般に広がろうとしているのです。

いじめについても、ようやく「いじめの認定は被害者側の受け止めに即して行う」ということが普遍化されるようになりました。

一国の閣僚が「セクハラ罪という罪はない」とうそぶくのを聞くとき、部落出身の政治家を指して、「あいつだけは総理にさせない」と発言した政治家が現存することを思うとき、ましてや、相模原事件の被告人が「障害者は生きていてもしょうがない」という考えを公然と表明していることに直面して、「自分の心の中にそのような差別的考えが片鱗もないのか」、を自問して悩む時・・・。

私は、「差別に内心の自由や表現の自由はない」という思いを一層強くするのです。差別、人権侵害は個人が加害者である場合があり、しかもそれは、場合によっては被害者に死さえもたらす暴力になる場合があるからです。

以上のように、図らずもこれらの反対意見によって、かえって本条例に期待される役割が明らかになりました。

それは、差別の原因を、社会構造や経済関係に帰するにとどまらず、人の考え方や、他者との接し方にまで掘り下げて求めるべきものであることを確認し、取り組むことです。

そして、尼崎市つまり自治体の政府と市民が共に、このことを確認し宣言する性格を持つものであることも浮き彫りになりました。

黙っていたら、埋もれたままになっていたであろうこれらの課題を浮き彫りにできたという点で、反対意見に対しても敬意を表します。

そして、これらの議論が、本条例を、単なるきれいごとを並べた理念条例にとどまらない、実効性のあるものとして活用していくための役に立つことを期待して賛成討論とします。

以上


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